僕は死ぬように生きていたくはない

自分のこと。音楽のこと。保育のこと。タスク管理のことetc.

忘れられないし、思い出せない。

思い出したくない記憶は忘れよう。

この考え方にはムリがある。

忘れようと試みる時点で、頭の中には思い出したくない記憶が蘇るってしまうから。

冷静によく考えれば分かることなのに、
自分の頭の中はいつもこんな思考が渦巻いている。

忘れるのが苦手。

思い出すのも苦手。

これじゃ、上手く生きられないのも仕方がないのかもしれない。

メモ魔になりたい。

あの時、考えていたこと。
あの時、感じていた思い。

それがあったことは覚えているのに、

思い出せない。

そういう時がいちばんモヤモヤする。

やっぱりあの時、書き留めておくべきだった。

自分の人生、そんな後悔を繰り返しているようなきがする。


いっそのこと忘れたことも忘れてしまえば楽なのに。


と、言うのはウソ。

どうせ記憶に留めてらいられないのなら、

大切なことを忘れても、自分で書き留めたものを手がかりに、思い出せるような人になりたい。

心の中の言葉を変える。

今、セルフトークについての本を読んでいる。

セルフトークとは自分の心の中の言葉のこと。
このセルフトークに注意を向けて、意識的に変えることで、行動を変えていったり、感情や思考を変えていけるそうだ。

その本を読んで、ここ数日自分のセルフトークに注意するようにしている。
注意してみて、そのネガティブさにびっくりしている。

めんどくさい
でも
だって
どうせ

ネガティブのオンパレード。

それを今まで無意識にしていたのだから恐ろしい。
行動や思考なんて変わるわけがない。

でも、注目することで、確かに少しずつだけれど、変えられることが分かってきた。

それはかなりの成果だと思う。。

セルフトーク。
心の中の言葉を変える。
なかなか面白いので、これからも続けていきたい。

セルフトーク・マネジメントのすすめ

セルフトーク・マネジメントのすすめ

人生の事件は変化の途中に起きる。

大きな事件は何かが変わるチャンスなのかもしれない。

頭ではなんとなく分かっているけれど、事件の最中にいるとなかなかそんなふうには考えられない。

今、自分のもとで起きている大きな事件。

詳しくは言えないけれど、
今までこんなことはなかったし、
こんなことが起こるなんて想像もしていなかった。

これは良い方向に変わるチャンスなんだろうか。

分からない。まだ分からない。
未確定な部分が多すぎる。

でも、きっとその方向性を決めるのは自分でしかない。

これをきっかけに良い方向に変わっていく。
それの道を選択するのは自分自身。


後悔はしたくない。

自分が信じられない。

自分はかなり忘れっぽい。

「そうだ、○○しよう。」
とか、
「○○するの忘れないようにしないと。」
と、頭に思い浮かべていたことを
数分後にはすっかり忘れているということが、かなりの頻度である。

毎度のことながら、自分でもびっくりする。

そんなだから、自分のことがあまり信じられない。

それなのに、自分を疑わないようにしてしまってる自分がいる。
疑わないというか見て見ぬフリをしている感じ。

だから何も変われないのかもしれない。

自分の性分。

30歳を超えて、自分の性分になるものを考えるようになってきた。

自分の得意なもの、苦手なもの。
できること、できないこと。

良くも悪くもあきらめないといけなくなってきた。

もうこれからは、今あるもので勝負しないと。
あきらめというか、覚悟を決めて生きていかないと。

その方が強くて生きていける気がする。

隠れ自己中はめんどくさい。

自分は隠れ自己中だと思う。

他人に気を遣っている
他人を思いやっている
相手の立場を考えている

そんなふうに周囲の人にいい人をやっている体で、
実のところは自分の利益や得しか考えていない。

自分のためにだったら、
相手に気を遣うし、思いやるし、立場を考える。

周囲に優しいフリをした自己中。
つまりは隠れ自己中。

隠している自己中。隠しきれているうちはいいかもしれない。
ボロが出はじめると、もうどうしようなもなくなる。
多分、真っ当な自己中よりたちが悪い。

もし自分が逆の立場だったら、隠れていたものを見て、裏切られた感を持つし、どれが本音なのか、疑いの目を持つ。

そんな隠し自己中な自分。
いつ、職場でボロが出るのか。いつも戦々恐々としている。

と、いうかもうすでにボロが出ているのかもしれない。


ま、自分が周囲にどう思われているかなんて、考えても意味ないんだけれど。
(この考え方自体がやっぱり自己中)