僕は死ぬように生きていたくはない

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しあわせとしわよせ。幸せかどうかはシーツの張り方次第なのかもしれないという話。

しあわせとしわよせ。
ちょっと似てる言葉だと思った。

だからというわけじゃないけど、
幸せにはしわ寄せがつきものなのではないか思いついた。
そんなことからいろいろ思いをめぐらせて辿り着いた話。

それは、

もしも、人生が一枚のシーツみたいなものだとしたら、
人と人は互いにシーツの端っこを持ち合ってシーツを広げているようなものなのではないかということ。

幸せだと思える時ってのは、しわの無いキレイなところが見えているような状態。
自分や周囲の人達が、しわの無いようにきれいに布を張りあって保っている状態。
ピンと張られたシーツは、見ていても気持ちいいし、そこにはやっぱり幸せがあるのだと思う。

でもその一方で、キレイに貼られたシーツの端っこのどこかには必ずシワが寄っていて、不細工な状態になっているはず。
そんな、“しわよせ”されたシーツの端っこを人は不幸だと感じるんだと思う。
自分のもとにシワが多ければ、それは自分が不幸だと感じていることになるのだと思う。
(でも、実際は自分の手元だけがよく見えるから、誰のところに一番シワが寄っているかなんて分かりえないのだけれど。。。)

分かりにくい例えだったけれど、
ようは、幸せと不幸せは人間関係の間でひとつながりになっていて、
他者と自分でつくりあげるもだということ。
そして、自分の加減で幸せにも不幸せになれるし、自分の見方(感じ方)次第でも幸せにも不幸せにもなれるのかもしれないということ。

そんなことだをふと思ったという話。