僕は死ぬように生きていたくはない

自分のこと。音楽のこと。保育のこと。タスク管理のことetc.

ミニマリストになりたい。

ミニマリストになりたい。

そんなふうに以前からぼんやり思ってた。

ミニマリストの本も何冊か読んだことがある。

断捨離の本もこんまりさんの本も読んだ。

でも、なんかだかピンとこなかった。



ミニマリストになりたい。



仕事を辞めてからはそれまでのぼんやりとした考えの輪郭がどんどんハッキリしてきた感覚があった。

そんな中、この本を読んだ。



あぁ、今まで読んできた本の中でこの本がいちばん心に響いた。

ミニマリズムとは、いちばん大切にしているものを最優先にして、
その障害になるものはすべて廃除すること。
本当の利点は、豊かさが増えることだ。
目からウロコ。

この本を読んで、ぼんやりとじゃなく本気で、



ミニマリストになろう。



そう思った。

自分軸がブレブレな自分。

断捨離についてのテレビ番組を観ました。

断捨離しすぎた母の決意 | ウチ、“断捨離”しました! | BS朝日

内容を説明すると長くなるので、詳しくは書きませんが、

一言でいうと、

自分軸を忘れて断捨離を強行したために、空虚感が残ってしまった母親。その母親が断捨離の創始者のやましたひでこ氏のアドバイスにより、自分軸を取り戻す。

そんな内容でした。

改めて、生活の中の自分軸がいかに大切かということを考えさせられるとてもいい番組でした。

生活の中に美意識を。

そう思ってあれこれやってみて、なんだか妙に窮屈だなと感じていました。

その答えがこの番組の中にありました。

 

自分軸。

 

生活は誰のものでもなく自分のもの。

それを忘れて背伸びをしたり、無理をしたりしても

それは美でも幸せでもないんだなと。

 

身の丈の生活。

その中での身の丈の美。身の丈の幸せ。

 

理想も大事だけれど、現実をちゃんとみないとですね。

その上で、今より少しでもいい暮らしになるように日々努力しないとなと反省させられました。

 

明日から、改めて断捨離でもしようかなぁ。

 

自分軸を取り戻すために。

 

新・片づけ術「断捨離」

新・片づけ術「断捨離」

 

 

Evernoteでブログを更新してみる。

はてなブログEvernoteでブログ更新ができるらしいです。
最近Evernoteので日記を書くようにしています。
日記というか思考の整理のための落書き帳のようなものですけど。

その延長線上からブログも更新できたら。。。

そう思ってちょっと調べてみたら、その機能がはてなブログにはあるとのことでした。
さっそくやってみています。

※この記事はEvernoteで編集しました。

生活の中に美意識をもつ。

達人達というテレビ番組を観ました。

 

スタイリスの原由美子さんと料理研究家土井善晴さんの回。

すごくいい対談でした。

再放送でもう一回観ようかと思うぐらいに良かった。

 

服と料理。

 

衣と食。

 

大事なのは衣食住。なんていうぐらいだから、大切なことは分かっていたけれど、改めて大切なんだと考えさせられました。

そして、自分の意識の低さも痛感しました

 

大切なのは自分のため。

そして相手のため。

自分らしさと他者への心遣い。

どちらの視点も大切。

 

原さんと土井さん。

どちらも同様のことをお話してました。

 

あと、暮らしの中の美意識の話もしていました。

 

美意識。ないなぁ。全然。

 

真剣に意識していきたいって思いました。

 

美意識。美しい生活。まずは部屋を片付けます。

きっと春だから。久しぶりにブログをアップしてみる。

久しぶりにブログを書きたくなりました。

 

それはたぶん春になったから。

温かい日差し。

心地よい風。

眩しいほどの新緑。

ひらひら空を羽ばたく蝶。

心踊る感じ。

春ですよ。春。

 

モグラみたいな生活を主としている自分でも、

日差しを浴びたくなるようなそんな季節です。

 

いいですね。春は。

 

何かをはじめたくなります。

https://www.instagram.com/p/BxV-G_Qhph-/

菜の葉。春。田んぼには水がはりはじめてる。#菜の花 #春 #田んぼ

みんなちがってみんないい。

みんなちがってみんないい。

有名な金子みすゞさんの言葉。

 

今、平野啓一郎さんの“私とは何かー「個人」から「分人」へー”を再読している。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

『分人』

分人とは個人を更に分割したもの。それが『分人』。

個人でもその場の状況や人的環境によって変わる。

それはどれが本当でどれが偽物とかではなくて、全部がその人自身で甲乙をつけるものでもない。

だからその一つひとつの自分を『分人』として捉えてみよう。

そういった内容が書かれているこの本。

 

みんなちがってみんないい

 

それは分人同士でも言えることなのかもしれない。

そう思った。

 

家にいてダラダラしている自分。

大ポカをし、上司に怒られて萎縮している自分。

活き活きと保育をしている自分。

夜中にスタバでブログを書いてる自分。

 

分人という考え方を取り入れたら、そのどれもこれもが自分。

すべてが偽りじゃない本当の自分。

 

そして、それは、

 

みんなちがってみんないい。

 

そう考えたら、

なんだかすべてが上手く行くような気がしてきた。

 

夜は大抵、ネガティブにかたむくことが多い。

今日は珍しくポジティブな自分。

それもまたいいんじゃないかと。

 

このまま布団に入ったらいい夢が見れそう。

明日からまた仕事。頑張ろう。

 

おやすみなさい。

境界線の引き方って難しい。

仕事の話。保育の話。

保育の仕事って境界が曖昧。

 

仕事とプライベート。

子どもと保育者。

親と保育者。

保育者と保育者。

 

どこまでが自分のテリトリーで、

どこまでが相手のテリトリーなのか。

とっても曖昧。

白でもない黒でもない。グレーなゾーンがいっぱいある。

 

踏み込もうとすればどこまでも踏み込めそうな気がするし、

気が付いたら(感覚的に)目の前に近寄られてびっくり(というかもはやゾッと)する時もある。

 

だから境界線を引かないと。

自分で引かないと。

相手を不用意に傷付けてしまわないように。自分が不用意に傷付けられないように。

 

いい保育をしているなと思う人は境界線の引き方がうまい人だと思う。

臨機応変にさっさっと線を引いて、

それを相手にさり気なく気付かせる。

子どもにも保護者にも。一緒に働く保育者にも。

それって結局、相手に対しての優しさだと思う。

強さでもあると思う。

 

優しくて強い、保育者。というかそいう人になりたいと思う。

 

だから、いろんな境界線の引き方を試行錯誤していきたい。