僕は死ぬように生きていたくはない

自分のこと。音楽のこと。保育のこと。タスク管理のことetc.

職場を辞めたいのか。保育士を辞めたいのか。

辞めたい。

という思いが最近強くなってきた。
それが今の職場を辞めたいのか、
保育士そのものを辞めたいのか。
まだよくわからない。
もしも保育士を辞めたとして、次に何をしたいのかという具体的な希望は無い。

とにかくこのままの状況は耐えられなくなってきた。
でも簡単には辞められない。
罪のない子どもを犠牲にできないし、今すぐ辞める勇気がない。

でも辞めたい。

この思いが実現する日を夢見て最近は頑張ってるところです。

願うことしかできないけれど。

どんなに強く幸せな未来を願っても、
奇跡を願っても、
願いが叶わなくて、
結果的に待ち受けていたのは深い悲しみと絶望はじまりで、
これからそのどうしようもない悲しみと絶望に向かって
歩みを進めていくしかない。

悲しすぎるドラマのような現実。

そんな時、自分だったら。
自分だったら。
なんてくだらないことを考えて涙がでる。

これからあの人が歩んでいかなければならない、
絶望でしかないような、
残酷な未来が待ち受けている道。
もし、自分だったら到底進めないような過酷な道。
そんな道だけれど。
どうかあの人が、立ち止まらず、進む道の先には
いつか、いつか、

歩みを進めてよかった。

そう思えるような未来があって欲しい。
どうか、その時がくるまで歩みを止めないで、一緒に歩むべき人と歩んでいって欲しい。

そう心から願っています。

願うことしかできないけれど。

瞑想を続けてみて感じたこと。

瞑想を2週間ほど続けてみた。

続けたといっても、そんなに難しいことではなく、
一日10分ほど、目を閉じて自分の感覚や思考に意識を向けてみるということをやってみただけ。

その成果は、、、思ったよりあったと思う。

まず、朝に瞑想することで、一日を通して気持ちに余裕が持てるようになった。
これはたぶん、瞑想の内容よりも、朝の忙しい時間に10分も何もせず、自分のためだけに時間を費やせたという、その事実が達成感や自信に繋がっているような気がしている。
瞑想を続けることで、自己肯定感が高まるというのはどうやら本当らしいです。

次に、瞑想をしている間、自分の感情や思考に意識を向けていると、自分の雑念の多さに気付くことができた。
瞑想を続けるコツとして、余計なことやネガティブな事が頭に浮かんだとしても、否定も肯定もせず、
(あぁ、そういうことを考えているんだなぁ。自分は。)
と、受け流すようにすると良いらしいとのことだったので、
そうするよう意識してみたところ、10分という間に自分の思考があっちにいったり、そっちにいったり。忙しいったらありゃしない。
いろんなことが頭を駆けめぐっていることを超実感。
そして、実感できると、大抵のことはどうでも良いこととして捉えられることも分かった。
瞑想を続けるまでは、どんな事柄が頭を駆け巡っていたのかも分からなかったので、
それを認識できたことことはとても大きな成果だと思う。
瞑想に対してちょっと(というかかなり)半信半疑だったけど、やってみて良かったと思ってます。

たかが朝の10分。されど朝の10分の瞑想。

これからも続けていこうと思います。

ちなみに瞑想はこの本をやってみてます。

はてなの敷居の高さってどんなものでしょう?

はてなでブログをちびちびやっているけれど、
はてなブログってなんとなく敷居が高い気がする。

勝手な妄想かもしれないけれど。

長文を書かないといけない。
わかりやすく書かなきゃいけない。
意味のあることを書かなきゃいけない。

そんな気がして、ついつい更新が滞る。

勝手な妄想に違いないのだけれど。
勝手な言い訳に違いないのだけれど。

はてなの敷居って高くないですか?

他の人はどう思っているんだろう。
ふと気になった。というかいつも気になっているので、今日は敷居を無視して書いてみました。

マインドフルネス瞑想法について

この本を読んだ。

最近、巷で流行っている(?)というマインドフルネス瞑想法に興味があったもので。
読んでみての感想は、

最高の休息法だなんて知らなかった!目から鱗!すごい!

と、言えるものかと思いきや、
10年近く前に読んだ初期仏教の本に書いてある瞑想法、
ヴィパッサナー瞑想や慈悲の瞑想を科学的に解説をしているものだった。やり方もほぼ同じ!!

21世紀の脳科学が最高の休息法として行き着いたものが上座仏教の瞑想法だったなんて・・・。
個人的にはかなりの驚き。
千年以上も昔に、悟りをひらく方法としてこの瞑想法を確立していた釈尊って・・・。
安っぽい言葉だけれど、すごい。すごすぎ。

ちなみにヴィパッサナー瞑想や慈悲の瞑想は知識として知っているだけで、実践したことがなかった。(当時はちょっと胡散臭いと思ってました。すみません。)
でも、今回読んだ本で、それらの瞑想法が脳科学的にも効果があるといことを知ることができた。

これはやってみる価値はある!。早速やってみよう!

と、言うわけで昨日からマインドフルネス瞑想を実践中です。
効果は・・・まだ実感はありませんが、実践し続けることに意味があるとのことのようなので、しばらく続けてみたいと思います。

それにしても仏教と科学の行き着く先が同じなんて、本当に面白い。

(たぶんこの本は押し入れのどこかにあるはず。。。)

科学と仏教の交わり(同一性)について考察・検証されている本。個人的にかなり面白かった。

※マインドフルネス瞑想のやり方については、Google等の検索エンジンで“マインドフル瞑想”と検索をかけるとたくさん出てくるので興味のある方は調べてみてみてください。

A5でもA6でもなく、B6という選択肢。

今日もバレットジャーナルのノートの話。

この前、A5サイズとA6サイズどちらがいいのか悩んでいるという記事を書いたのだけれど、ふと、

その中間ぐらいのサイズってどうなの?

ということを考えついたんです。
と、いうわけで早速B6サイズのノートを買ってみました。

これが・・・


意外といいかもしれない。


まず、マンスリーカレンダーのサイズの大きさがA6に比べて格段に大きくなった。当たり前だけど。
それが、パッと開いた時の見易さがかなりUPしました。

そして、日々バレットジャーナルとして使ってみて、何よりしっくりきたのは、一行の長さがちょうどいいということ。
A6だと書きたいことが一行に収まらないことが多かった。でもB6サイズにしたらそれがほとんどなくなった。そのお陰で、ノートがスッキリした印象になったような気がする。(文字の汚さは変わらないけれど・・・。)

あと、A5だと色々サイズが大きすぎた件だけれど、B6だとそれほど持ち運びも苦にならない。ほぼ日手帳のカバーをつけたA6サイズのノートより一回り大きいぐらいな感じだし。
そして、リングノートを選んだので、デスクに開く時は半分にしておける。これならA5よりはノートの露出(他の人に覗き見られる)を減らす事ができる。

いいかもB6サイズ。

もうしばらく運用してみてみようかと思います。

マルマン B6 スパイラルノート 方眼罫 80枚 N248ES 『 2 冊 』

バレットジャーナル用のノートのサイズについて。

バレットジャーナルのノートのサイズについて未だに迷っている。
今使っているのはA6(文庫本サイズ)ちなみに5ミリ方眼。
それとA5(A4の半分のサイズ)で迷っている。

持ち運びの便利さはやっぱりA6。
職場や喫茶店とかで開きっぱなしにしていてもあんまり邪魔にならないサイズ。
カバンに入れても場所をとらないのもいい。

でも、文字を書くとなると、ちょっと狭さを感じてします。
自分みたいに字が汚いと、小さい文字で書くと読み返しが困難になることもしばしば。
1ページの書くスペースが少ない故に、あれこれ書いてるうちに1つの事象に対して5ページ6ページにもなってしまうことがある。いくら1日何ページでもOKのバレットジャーナルとはいえ、一覧性も悪いし、心の片隅に罪悪感というかもったいなさを感じてしまう。

一方A5はというと、

バレットジャーナルをやる前にA5サイズのノートを持ち歩いていたことがあったけれど、書くのには確かに困らなかった。なぐり書きでものびのび書けるから、乱筆でもあとで読み返す時も見やすかった。
考えた事や思った事なんかを箇条書きで書いていくと、右のスペースが結構余るので、あとで加筆したり、違う色のペンで書き直したりするのも楽だった。

でもやっぱり持ち運びがちょっとめんどくくさかったのが正直なところ。
あと、ノートをデスクに広げるというのがA5だとちょっとつらかった。
開きっぱなしにしていると作業の邪魔になりやすいし、その大きさ故に隣の人に書いてる内容を覗き見されているような気が強くしてしまう。仕事もプライベートもごちゃまぜにして書いているので、
特に職場でノートを開くのに抵抗を感じてしまう。
職場で開くことを意識してしまうと逆に職場の愚痴を吐き出す場所としてのノートの大きな役割が失われてしまう状況になってしまうという。。。
かといってノートを複数冊持って使い分けるほどマメじゃないし。。。

そんな感じでぐるぐる彷徨っている。
結局は何を重要視するかなのは分かってるのだけど、
その日の気分や考え方でいったり来たりを繰り返してしまう。

めんどくさいからスパッと決めてしまいたい。
でも決められない。

ぐるぐる。ぐるぐる。